讃美歌について思う

讃美歌について思う  tasuku.A

礼拝は神を賛美するための典礼であり、讃美歌を歌うのはそれをより強めるためのツールであると思う。

旧約聖書には詩編として信仰の歌が150篇も記されている。
聖書の中では、“詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主にむかって心からほめ歌いなさい。 ( エフェソの信徒への手紙5章19節)
“・・・詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい”(コロサイの信徒への手紙3章16節) と書かれている。
旧約・新約の時代にはこの詩編が神への賛美として礼拝の中で歌われていたと思われる。聖書ではメロディーが分からないが、おそらく朗誦のように歌っていたのではないだろうか。さらに禁教の時代、弟子たちは地下の礼拝所で唱えていたのだろうか。
ローマの教会によりミサの式文が確立すると、徐々にメロディーも豊かになり、より音楽的になっていったのであろう。さらに宗教改革が進むと会衆も参加し、コラールも歌われるようになり、現在の讃美歌に近くなってきたのではないか。

典礼としての礼拝のプログラムの中では交読文(詩編)を含め、讃美歌は重要な役目をなしているのであるから、心して歌わなければならない。
わたしたちが使用してきた“讃美歌(1954年版)”は西洋で歌い継がれた讃美歌を日本語に訳したものが多かった。その中には現代では理解が難しい文語体の歌詞もあった。聖書が文語体から口語体に改訳されたように“讃美歌21”ではそのような文語体を現代語に訳して解りやすくなった。また西洋の讃美歌だけでなくより広い国々で歌われているものを採用しており、世界には色々な讃美歌があることも分かった。
しかし今まで長い間歌ってきた“讃美歌”に愛着があり、“讃美歌21“にはなじめず採用できない教会もある。21世紀を意識し過ぎ発行を少し早まってしまったのではないか。残念である。
※写真はクリスマスのキャロリングに出かけようと練習しているところ。
※長野県町教会では、讃美歌21を備え付けつつ、礼拝では1954年版の讃美歌も併用して歌っています。