おとずれ「神様のジグソーパズル」

教会報「おとずれ」67号より

神様のジグソーパズル 小出 望

「壮大なジグソーパズルの一片に/神は我をば選びたまえり」
あるクリスチャンの歌集の帯に記されている短歌です。この歌を見たとき、言葉に打たれて体中がぞくぞくしました。教会はイエス・キリストの御身体と言われます。歴史を貫いてキリストの御身体を形作るあまたの聖徒たち。その中に自分も一つのパーツとされている。小さな一片でしかない。しかし、それなしにジグソーパズルは完成しません。そこには神の選びがあるのです。

「何事も合わないと決めず回してみる/ジグソーパズルの一片なれば」
ひとつのピースだけではジグソーパズルは成り立ちません。いくつものピースと共に組み合わされて初めて全体が仕上がります。一人ひとりの微妙な違いが絶妙に組み合わされてぴったりと並びます。

福音書に出てくる弟子たちは、信仰深い立派な人たちではありません。いつも優柔不断で神様に信頼しきれず、イエス様は繰り返し「ああ、信仰のうすいものよ」(マタイによる福音書6:30他)と呼びかけておられます。その弟子たちに主イエスは「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そしてあなたがたを立てた。」(ヨハネによる福音書15:16)とおっしゃるのです。

こんなわたしが、キリストの御姿全体をあらわすジグソーパズルの一片とされている。この光栄を全世界に伝えることが教会の使命です。生まれてこなかった方が良かった人など、この世界にはいません。
一人ひとりがこの世界という神様の壮大なジグソーパズルの、なくてはならない一片なのです。主イエス・キリストがこの世界を贖われたとはそういうことです。