「塩」に思うこと

夫が昨夏、減塩を必要とする病気で緊急入院し、一日の塩分6g以下の食事を、と言われて退院しました。食事に関しては専門なので減塩食を調えるのはそれほど大変には思いませんでしたが、舌が塩辛いものに慣れている人にとっては辛い面があると思います。(インスタントの中華麺を汁ごと食べると7~8gの塩分!)

しかし健康を脅かしもする塩も、動物が生きていく上では欠くことのできない食品であり、聖書にも「塩」に関する記事が多く見られます。
味の面で「塩加減」という言葉がありますが、塩は多すぎても少なすぎても料理はおいしく仕上がりません。甘みを引き立てるためにも酸味のとげとげした味を和らげるためにも塩はその仲介役をします。茶碗蒸しを固めるのも塩の大事な役割です。
塩は直接舌に当たる時には塩辛いだけで美味しいとは言い難いのですが、食材に溶け込んでその姿を隠し、食べ物の中に入っていって初めてその真価を発揮します。隠し味的に使われる事に大きな意味を持つのです。

私は隠し味として存在しているだろうか。
つい、ここに塩ありと表に出てしまっていないだろうか・・・。

聖書は「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」(マタイ5:13)と言い、
「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして互いに平和に過ごしなさい。」(マルコ9:50)と勧めています。

「いつも、塩で味付けされた、快い言葉で語りなさい。」(コロサイ4:6)
地上での生活があとどのくらい赦されるのか知り得ませんが、よい塩加減で味付けされた言葉と心とを、感謝の道のりの中での宿題にしたいと思っています。

kimi.S