おとずれ「復活の朝の光に彩られて」

教会報おとずれ69号より

「復活の朝の光に彩られて」小出 望

今年のイースターは4月1日です。新年度がイースター、復活節から始まり、全てが瑞々しく光り輝きます。イエス・キリストの御復活はそのように全てを変えてしまう出来事です。

イースターまでの6週間はレント(受難節)。主イエスの十字架のみ苦しみと死を覚える日々であり、かつては断食の期間でした。洗礼は復活の命にあずかることから、イースターに洗礼を受ける習慣もあり、レントはそのための準備の日々でした。キリストの十字架によって罪を贖(あがな)っていただく祈りの日々。そのレントの期間が終わって迎える復活節はどんなにか喜びに満ちていたことでしょう。受洗者の喜びに満ちた姿は今も変わりません。

マルコによる福音書は、その復活の日のことを次のように記しています。
「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」
ユダヤの一日は日没から始まります。安息日が終わると夜のうちに主イエスのご遺体に塗るため香料を用意し、夜が明けるのを待った女弟子たちが、朝早く主イエスの墓に出かけるのです。十字架につけられた敬愛する師を、せめて丁重に葬って差し上げたいと思ったのです。それは虚しい悲しみのわざ。
ところが墓に行ってみると、様子はまるで違っていました。墓の入り口を塞いでいた大きな石は既に転がしてあり、中に入ると天使と思しき若者が座っていて、「イエスは復活された」と告げるのです。

死が命に飲み込まれた瞬間でした。色褪せた死の世界が、復活の主によって、命へと彩り豊かに生きかえらされてゆくのです。