125周年の感慨

「創立記念125周年の年にあたって」 setsuko.N

長野県町教会は昨秋、創立125周年を迎えました。この記念の年に巡り合い、改めて驚きと共に深い感慨を覚えました。

私が受洗したのは1959年ですので、かれこれ60年近い年月を経たことになります。教会を訪ねたきっかけは、当時の自分の弱さや悩みから逃げ出したいという身勝手な思いからでした。幸い、牧師をはじめ周りの方々から優しく受け入れていただいて、多くの気付きをさせていただきました。
特別に劇的な半生でもありませんでしたが、事情で教会から遠ざかっていた時、喜ばしい出来事に浮かれていた時、辛く苦しい時、常に主に赦され、慰めをいただいていたことを思い起こし、感謝しています。

クリスチャンというと、大概の場合は「清く正しく愛に満ちあふれている人」というように思われがちですが、教会は決して長いこと辛い修業を積んだり、無理な貢物を求められたりするところではありません。まして宗教弾圧による拷問にも屈しない強靭な人や、聖人と呼ばれるような功績のある人たちを招いているのではないと思いました。

洗礼を受けた後の私は、周りから見れば以前とあまり変化があったようには感じられていないかもしれませんが、すべてをお見通しの主なる神様が、ありのままの私を赦し、受け入れ、慈しんでくださっていることを示される度に安らぎ、感謝をする日々です。
弱い私はこれからも、つまずきつつ後戻りしたりの歩みになるでしょうが、主がその都度、守り導いてくださることを祈り、信じていこうと思っています。

「主はわたしの嘆きを聞き
 わたしの祈りを受け入れてくださる。」
            詩編6:10