ヨナ書の信仰 小出 望
旧約聖書のヨナ書と言えば預言者ヨナが大魚に吞み込まれて腹の中で悔い改める話として、起承転結がはっきりとしていてわかりやすい印象があります。しかし実際に読んでみると、ヨナは最後まで神様に対して激しく言い募っているのです。
神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」(ヨナ書4:9)
口語訳では「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです。」としています。ヨナは神様に対して怒っているのです。神様が大きな罪の町ニネべを滅ぼされないからです。ヨナは神様に命じられてニネべの滅びを街中に伝えました。するとニネべの人々は悔い改め、王室から家畜まで断食して神様に赦しを請います。そこで神はニネべを滅ぼすことをおやめになった。それがヨナには怒り狂うほど腹立たしいのです。
わたしはあなたが恵み深い神、あわれみがあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災いを思いかえされることを知っていたからです。」(ヨナ書4:2 口語訳)
罪深い悪しきニネべは滅ぶべきではないか。それがちょっと悔い改めたからといって赦されていいいのか。滅びを語ったヨナのメンツもさることながら、世界の正義はどうなるんだ。神の憐れみのゆえに罪が赦されてしまうなら、わたしは死んだ方がましだ。
怒るヨナに、神様は懇ろに語ります。しかしヨナが納得したとは最後まで記されません。しかもなお、彼は神様に立てられて、神様を畏れる預言者なのです。このヨナへの共感なしに、ヨナ書を読んだことにはならないでしょう。