週報コラム「愛はすべてを完全に結ぶ帯です」

愛はすべてを完全に結ぶ帯です 小出 望牧師

新しく出版された聖書協会共同訳によるコロサイの信徒への手紙3章14節。
「愛はすべてを完全に結ぶ帯です。」

新共同訳聖書では「愛は、すべてを完成させるきずなです。」とありました。
「きずな」とは元々「手綱」と同じように、家畜を繋いでおくための綱で、しがらみ・呪縛の意味に使われていましたが、近年、登山家の命綱のような意味に、また人と人との繋がりとして使われるようになりました。大きな災害に苦しむ人たちに多くの人が手を差し伸べて、人の繋がりが大いに慰められたことから、絆という言葉は日本中のみんなが好きな言葉になりました。
「愛は、すべてを完成させるきずなです。」には、そんな実感があります。

しかし、キリストの生き方である「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け」(12節)「キリストに倣って、互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」と命じられているだけだとすれば、それはある意味で、どの道徳でも宗教でも言われていることです。

新しい訳では「古い人を・・・脱ぎ捨て、新しい人を着なさい」(9~10節)を受けてのこと。新しい人キリストをオーバーコートを上から着るように着るのです。
「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」はそのキリストご自身。
幾重にもキリストを着るのです。

最後に腰に帯を締める。
キリストの愛です。
キリストに覆われ、キリストの十字架の愛の帯で体にぴったりと括られて、キリストの内にあって生きる。もはや私ではなく、キリストが生きてくださる。
生ける主の現実が言われているのです。