長野県町教会は、日本基督教団に属し、その中の東海教区・北信分区の交わりの中にあります。
2月23日、主の日の礼拝の午後に、長野県町教会を会場として北信分区の研修会が開かれ、50人を越える信徒と牧師とが集まって、「公の祈り」について学び、語り合う時をもちました。
講師は東京神学大学教授であり、成瀬が丘教会牧師の小泉 健先生。
北信分区からのリクエスト「え…わたしが祈るんですか」というテーマに応えて
「そうです。あなたが祈るのです!」という題でお話しくださいました。
会場いっぱいの参加者みんな、礼拝や集会で「お祈りお願いします」と言われてたじろいだ経験のある人たちが、興味津々で耳を傾けました。
礼拝では神を拝みます。
ではわたしたちの「拝む」とは、どのような行為なのでしょうか?
「神の言葉を聞くこと、そして神の言葉に応答して祈ることこそが、神を拝むことなのです。」と宗教改革者マルチン・ルターの説教から教えられました。
心のすべてをもって、全信頼を神にささげる応答が祈りです。
時々「お祈りは牧師の務めでしょう?」という声が教会の中で聞かれることがありますが、いえいえ、そうではないんです。すべての信徒に与えられている恵みのわざです。
小泉先生は、聖書の中の主イエスに向かって叫んだ人々を挙げました。
「主よ、あわれんでください!」と叫んだ盲人たち、罪深き女、重い皮膚病の人々。
礼拝から外れていた人々の主イエスにすがるしかない叫び、これがわたしたちの祈りだ、と。
何か、立派な事をしなければならないと思い込んでプレッシャーに感じたり、祈る言葉の貧しさに気後れしてしまうわたしたちに、祈りの原点を教えてくださいました。
講演の後は、4グループに分かれてのディスカッション。
限られた時間でしたが、とても活発に思いが交わされました。
「お祈りには原稿が必要?不要?」
「献金の祈りで『恵みの一部をおささげします』という言い方が気になるんだけど」
「献金のお祈りに説教への応答は入れていいの?」
素朴な疑問、鋭い意見が続々出ました。
一方的に教わるだけでなく、語り合うことで大いに理解が深まりました。
不安や恐れから自由になって、祈りの生活が公私ともに豊かにされますように。
個教会を越えて、主にある兄弟姉妹がこのような交わりをもつことができた幸いを神に感謝いたします。